今日の新聞に、囲碁棋士の坂井秀至八段(37)が、碁聖のタイトルを獲得した、と載ってました。
彼は、開業医の長男。
医師免許を取得した。
研修医勤務を目前に転身し、28歳でプロ入りした。
このように、掲載されてました。
その記事を読みながら、思い出した事があります。
数年前の将棋世界の特集で、元奨励会員の特集をしてました。
そのなかの、立石怪さんについての特集。
彼は、奨励会三段まで勝ち進んだ時、将棋のプロ棋士を自らドロップアウトし、小児科医を目指し、数年後に小児科医になりました。
つまり、今回の坂井さんと真逆の道に進みました。
当時読んだ記事によると、立石さんは強い。
将来は、プロ棋士はおろか、タイトルも獲れただろう。
しかし、立石さんはそれを捨て医師になりました。
当時の立石さんについてはまったく存じません。
質問
立石さんについて詳しい方、もしプロ棋士になってたら、羽生さんの7冠を阻止した可能性は何%ぐらいありましたか?
立石径氏は当時、久保二冠、矢倉六段と共に「関西三羽ガラス」と呼ばれていて、タイトル戦の記録係を務めた際に、誰も気付かなかった詰み筋を指摘した逸話がある。
もしプロになっていたら、久保二冠と同等の活躍をしていたかもしれないが、時期的(三段リーグ在籍は1991年4月から1992年9月まで)に羽生名人の七冠(1996年)を阻止する可能性はまずなかったと思われる。
小児科医も産婦人科医(坂井碁聖)も、とてもyahooの知恵袋に質問を書く暇のある仕事ではないと認識しています。
立石さんも坂井さんも躊躇なくその仕事を目指して踏み込んでいけるのですから、プロを目指す人は違うなと感じます。
質問の答えとしては、他の方もおっしゃるように、時期的には厳しい(立石さんの年代から言って、羽生さんが7冠を取る前の年代にタイトルを取る活躍をするのは難しい)ので限りなくゼロに近いでしょう。しかし、タイトル獲得の可能性はかなりある、ポテンシャルの高い方でないと、なかなか、厳しい小児科医の道に、一度進学をあきらめながら、突き進むことはできなかったとも思います。
彼はプロになれないと察したから辞めたのかもしれない。
俺も同感であの鬼の三段リーグを抜け出せるとは思えない。
将来有望だったら一期抜けしてるだろう。
>(奨励会を三段で退会した)立石さんについて詳しい方
がそんなにたくさんいるとは思えませんが、結論から言ってたとえ棋士の道を歩み続けていたとしても、羽生さんの7冠を阻止した可能性は限りなくゼロに近かったでしょう。
立石さんは久保二冠、矢倉六段らと同期で、昇段ペースもほぼ同じでした。十七歳で三段ですから将来有望であったのは間違いないですが、久保二冠をしても羽生さんに勝ち、タイトルを奪取するようになったのはごく最近の話です。羽生七冠にとって大きな壁になり得たとは思えないですね。
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