2012年5月6日日曜日

徳川家康の碁の強さはどの位だったのでしょうか?

徳川家康の碁の強さはどの位だったのでしょうか?







いろいろな説があるかもしれませんが、実はどれも歴史上の事実として記されたものではなく、真実はわかりません。



日海(本因坊算砂)に5子(それは、信長・秀吉と同じ、と言われている)であった、と書かれているというように言われますが、それは囲碁界側の資料(坐陰談叢など)にしか見られない情報です。



家康の中での意識は、囲碁や将棋は単なる遊戯ではなく、技芸・文化として守り、奨励するものだということであったと思います。



坐陰談叢や、爛柯堂棋話などには、家康が浅野長政と碁を打っていて、「観戦していた日海に助言を求めて勝ち、長政が日海に激怒した」とか、「日海が対局中の家康に日傘をさしかけて、傘の孔からもれる陽射しで打つ場所を教えた」とか、ザル碁打ちのような話は残っています(が、事実かどうかはわかりません)。



まあ、実力的には、ときの名人が5子でお稽古をしていた、というのを事実だと思って、

プロアマの区別のない時代で、2段差1子、名人=九段に5子で、2級?

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