2012年5月7日月曜日

ふと思ったのですが 打ち歩詰禁止のルールは、詰め将棋の為につくられたルールな...

ふと思ったのですが



打ち歩詰禁止のルールは、詰め将棋の為につくられたルールなのでしょうか?



今日のスポーツ報知に掲載されてた詰め将棋です。



攻め方




1二角、1六桂、2四歩、3四金、4二竜



玉方



2一桂、2二玉、3二金、4三銀、5一飛



持駒







もし、打ち歩詰Okのルールなら



2三角成、1一玉、1二歩まで3手詰め。



簡単に、3手で詰みますから。









木村義徳著「持ち駒使用の謎 日本将棋の起源」には、

「打歩詰の禁止は、少し前まで家来だった雑兵がいきなり旧主の首を取るのは無礼なりで決まったのだと思う」

という説が出ています。中国将棋のシャンチーの対面笑のように駒の格に拘る特殊ルールはこの手の盤上遊戯に付き物です。





ただ私の考えでは以下の事実を重視します。

・①日本将棋は駒を敵味方の明確化しない(シャンチーは赤と黒の色で区別、囲碁では白黒)

・②越前朝倉氏に伝わる朝倉将棋には現在使われていない駒があるが持ち駒使用は可能

・③徳川幕府将棋所、二世名人大橋宗古が打歩詰を始めとするルールを明文化

・④学芸を好んだ戦国前期の後奈良天皇がルールの整備統合を指示

・⑤大橋宗古の父、大橋宗桂の作った詰め将棋には打歩詰打開図式がある



これらを論理・段階的に整理類推すると、

A,日本に将棋伝来

B,泰将棋・大将棋・中将棋・小将棋などに分派しつつシェイプアップ

C,小将棋に持ち駒使用を盛り込む(朝倉将棋が派生)



D,後奈良天皇が統合整備

E,大橋宗桂が信長・秀吉に仕える

F,徳川幕府が将棋所を設立

G,宗古が明文化



このうちBの段階でシャンチーの終盤問題である残局の概念が盛り込まれ詰将棋の元になった。しかし大橋宗桂までは実戦型以上のものではなく手余りもあり、終盤を例示する以上の意味はなかった。



Dの後奈良天皇の時代は下剋上の戦国。その風潮への反感と風刺が打歩詰に込められた。実際に雑兵どころか百姓から天下を取った人が出てしまったが、太閣将棋の逸話が示すように猿の棋力なんて知れているから風刺はバレなかった。そして徳川体制での身分制と豊家否定が追い風になって明文化にこぎつけた。





という流れだと思います。歩の費用対効果の安さ便利さからきた制限なら民間やローカルルールに留まると思いますよ。








実際の対局では打ち歩詰の局面などそうそう現れるものでもありませんし、特におもしろくなったという感じもしない。しかし詰将棋では打ち歩がらみの名作傑作は数多く、誰かはしらないけどよくぞルール化してくれましたと詰将棋ファンの一人として感謝してます。まるで詰将棋のためのルールみたいだと思うことはしょっちゅうです。ただ、当初から詰将棋を想定してのルールかといわれたら、それは違うだろうなと。



将棋のいわゆる禁じ手といえば、二歩、打ち歩、行き所のない駒の三つ。このうち、行き所のない駒については自然発生的というか合理的というか当然のルールであり、また持ち駒の再利用ルールが登場される前からあったのではなかろうかと推察されます。ニ歩と打ち歩については、もちろん再利用ルールからの派生ルールなわけですが、ゲームバランスから誕生したルールのように思います。一番非力であると同時に最多の歩は、再利用ルールによって強力になりすぎるかも。だったら歩にだけ足かせをしとこうか、てな感じで生まれたルールじゃなかろうかと。ま、想像なんですけどね。



実際、詰将棋の初期の作品をみると、打ち歩がらみの作品はごく少数です。図巧一番のような打ち歩打開の名作が作られるようになるのは江戸も中期のことであり、それを見越して安土桃山か江戸の初期に打ち歩をルール化するなんてのは人間業ではないです。たまたまルール化したら、そこには凄い大鉱脈があったってことですね。



なお、あまり知られてはいませんが、二歩と行き所のない駒についても、詰将棋のテーマになっています。二歩禁の詰将棋といわれるものは、玉を追い詰めてここで歩を打てば詰みと思ったら同じ筋に歩があるので、前もってその歩を消しておくというもの。作品数は打ち歩テーマとは比較にならないぐらい少ないです。



行き所のほうは、飛角香での王手に対して香か歩で合駒をしてくれればそれを取って詰むけど、桂合で詰まない。そこで合駒の打ち場所を何とかして二段目に限定するというもの。こちらは二歩禁よりもさらに希少品です。



あと、突き歩がテーマの詰将棋もあります。普通にいくと打ち歩に陥るので、前もって歩を打っておき最後にその歩を突いて詰めるというもの。実をいうと突き歩はOKてのには僕も疑問を持ってて、歩詰はどっちもダメのほうがスッキリするじゃんと思ってます。突き歩の詰将棋は成立しなくなりますが、そのかわり突き歩打開が大きなテーマになったかも。







打ち歩詰めは大革命になるとのことで江戸時代に禁止になったという説があります。







これは実はよく分かってないんです。



ただ、私も質問者様と同じ意見です。





「歩で詰ますのは失礼」という説はよくあるのですが、個人的には難癖のような気がしてあまり好きではないです。

なぜ歩がダメで香車ならいいのか?なぜ同じ歩でも、突くならいいのか?

そこがどうしても納得できないんですよねぇ。



あ、これはotharuさんや石田さんを責めているわけではありませんので (-.-;)







石田和雄九段が、

「誰が作ったか分からないですが、歩で詰ますのは失礼ということでしょう。

しかし、このルールが本当に将棋を面白くしている。

一手詰めで勝っている将棋がこのルールの為、詰ますことができずに、負けてしまう。

いやぁ、本当にいいルールです」



とおっしゃっていたのを聞きました。



なので、指し将棋で出来たルールだと思いますが、

「なぜ、そうなったか?」と言われれば、

「歩で詰ますのは失礼」

なのだそうです。

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