囲碁界で互いに仲が悪い、あるいは悪かったのは誰々ですか?聞いたことあるのでは小林光一九段と武宮正樹九段は仲が悪いらしいですが。
囲碁棋士は、あまりあからさまに相手の好き嫌いをいわないし、態度も隠しますが、公の場でもハッキリした態度でいたのは、
古くは、坂田栄男と藤沢秀行が代表格でしょうか。感想戦などでも自説を曲げず、互いに「自分のほうが良い」と主張することに耐え切れ無くなった秀行が「ならば、ここから(この局面から)一番お願いしましょうか」と険悪になったというような話もあります。
ずっと口も聞かない仲だった2人も、引退するころにはお互いに認め合っていたようですが。
小林光一と武宮正樹は、武宮がパフォーマンス的に、小林のことを「地下鉄のような碁」とか、「気分が悪くなる」と公言していましたが、後に、武宮が自身の言いすぎと、マスコミの煽りもあったことを認めて、それほど本当は仲が悪かったほどではなかったかもしれません。
むしろ、小林光一とは趙治勲のほうが、強烈なライバル意識があって、お互いに相手の碁を否定し、口も利きたくない関係だった時期が長かったかと。
趙が碁に負けて、感想戦でも一方的に小林の主張ばかり発言されて「碁に負けて、感想でも負けるのはいやだから」と席をたってしまったり、感想なしで片付けてしまったようなこともありました。
2人の仲が改善されたのは、趙が交通事故に遭いながら車椅子で棋聖戦の挑戦手合を打つ真摯な姿勢や、本因坊戦で趙に挑戦しては跳ね返された小林が、素直に「自分の碁をどう思っているか」を尋ね、趙が「本因坊を防衛しただけで小林さんを負かしたとは思っていない。小林さんの持つ棋聖・名人に挑戦しなくては」と返して、お互いの健闘を誓い合ってからです。
>Noriken_firstさん
その件は、本当の事情を知らない第三者にはタブー視されている問題です。ウィキですら表面でしか捉えていないと思います。別に、個人的に不仲で暴行をしたわけではありません。
そこにいたる経緯がありますが、今更取り上げることは、棋院も当事者も本意ではないことだと思います。
坂田と秀行は仲が悪いのではなく、秀行にとっては坂田は先輩にあたり、目標でもあったわけです。坂田自身の傲慢さは有名で、秀行に限ったことではなく他の棋士をも見下す部分がり、そういった強烈な個性があったわけです。ただ、坂田は趙治勲とは非常に馬が合いました(サル年同士なのですが)。治勲・小林も元々子供時代からのライバルで、仲が悪いのではなく、お互い目標とするところだから、切磋琢磨した関係です。小林覚と柳九段の件も、覚さんの泥酔による偶発的な事故ですので、仲が悪いとは関係なく、その後示談しております。強いて挙げれば、武宮・小林の肌の合わないバトルがありましたが、これは一方的に武宮さんの起こしたバトルで、小林さんは当時奥さんの闘病で多忙だったため、あまり相手にしていませんでしたが、武宮さんが少ししつこかっただけです(とても意地の強い方ですが)。
このように考えると、囲碁界には仲が悪いという人は無く、坂田さんは確かに嫌われていた部分はありましたが、そういう立場に自分を追い込むことでモチベーションをあげていたのです。
多くのライターが仲が悪い様に物語を作り、読者を楽しませているのです。すべてはファクトではなく、フィクションと思ってください。
坂田栄寿23世本因坊と藤沢秀行名誉棋聖ですか。
しゅうこうさんは、本因坊秀行の襲名を目指していましたが、坂田が邪魔して、幻に終わりました。4-0、のストレート負けでした。
いつだっか、仕方なく坂田さんから金を借りた日、やけ酒を飲んで酔っ払っていたそうです。
小林覚九段と、柳時熏九段ですかね。Wikipediaによると「2000年に柳時熏に対する暴行により、日本棋院から1年間の謹慎処分を受ける。」らしいですから・・・
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