2012年5月3日木曜日

ヒカルの碁について・・・・・

ヒカルの碁について・・・・・

最近原作の漫画を読んだのですが、何故ヒカルは佐為の存在を隠したのでしょうか?



最初は確かにヒカル自身の棋力が低いので佐為の強さが分からず、ある程度アキラに追いつくまで佐為に打たせず自分で打っていましたが、プロに入段した以降は佐為という人間がヒカルの隣にいることは盤上でその証明ができたはずですよね?



病院で対局を申し込む時もその対局の後も、その時に信じてくれなかろうが、佐為を明かせば早いんじゃ?って思いました。そうしたらアキラは最初の指導碁と互戦の理由が分かりますし、塔矢名人も納得したんじゃ・・・・って思っています。



また、最後にヒカルが「お前にはいつか話すかもしれない。」って言いましたが何故、今は話さずこの時も存在を隠すのでしょうか。







ヒカルが最初に佐為と出会い、囲碁を始めたときは、周囲の反応があまりにも大きいことにびっくりして「強さの秘密がバレたらまずい」くらいにしか思っていなかったと思います。

だけど、自分も囲碁の世界に入り、成長していくにつれ、佐為との友情や仲間への思いが強くなってきたのではないでしょうか。

周りのキャラクターが濃すぎるせいで薄れてしまっていますが、主人公のヒカルってものすごく情緒豊かで、優しい少年だと思います。

バラしても、まず信じてもらえない。万が一信じてもらえたとして、佐為はそのときどうなるでしょうか。大好きな囲碁を打ち続けていけるでしょうか。はっきりは分からなくても、それがきっと不可能であるということをヒカルは感じていたのではないかと思います(確実に、見世物になってしまいますよね)。純粋に囲碁が大大大好きな佐為のためかなと。

また、アキラや緒方、塔矢名人、和谷など、真剣に囲碁に取り組んでいる現代の人々が、負かされた相手が「実は幽霊でした」などと聞いたらどう思うでしょうか。きっとやるせないです(笑)



そういったことを、ヒカルは意識的にではなく、無意識に汲み取っていたのではないかなぁと思います。





最後にアキラに言った言葉は、きっと自分が佐為以上、せめて同等の力を身につけてからでないと、気持ちの整理がつかないからではないでしょうか。それだけ、佐為と過ごした日々はかけがえのないものだったと思います。








みなさんがおっしゃるようにサイは凄すぎるんですよwまぁ例えるならば小学6年生の坊やが羽生名人を倒すようなことがあればもうマスコミは大騒ぎですしねwそれにこの物語ではサイが主人公ではないし最終的にはヒカルがサイを追い抜く可能性が十分にあるからサイばかりに頼っては成立しないのです。サイの役割=神の一手へのバトンタッチみたいな感じだったはず。虎次郎は私のためにいたならば私はヒカルのためにいる。。。。だいぶと本題からそれてすみませんが、結論はサイを出せばまぐれがちの王者になるのとサイの存在を消すため(サイに打たせ続けてたらこの話は未成立)この2本柱ですね。







話しても、誰も信じてくれないし、除霊されたら困るから。



話は変わりますが、もっと気になることがあります。

コミック1巻で、佐為はヒカルに、「考えてること私にはマルわかりなんですから。」と言っているのに、ヒカルの考えている手がわからないのはなぜなのでしょうか?







そんな風に考えたことなかったですけど、そう言われれば考えさせられますね。



最初は、子供なので、信じてもらえず変人扱いされるのがイヤだった。

そしてそのうちに、勝っても佐為がついているからだ、とか言われたくないから。

佐為との将棋の差は、わかる人にはわかっても、そうでない人もいる訳で。

そして最終的には、佐為とのことは大事な宝物・・・軽々しく言いたくない・・・だからいつか、もっともっとアキラと碁を打ちあい(今でも掛け替えのないライバルであり親友だけど)、もっともっと深くココロが通じ合える一生涯の友となった時に言うことだと思ったんじゃないでしょうか。

ペラペラ言うと、全てがウスくなってしまいますよね。価値って言うのとも違う・・・しゃべればしゃべるほど大切さが薄れて行く?



言葉で書くと全然重みもなく、意味も限定されてしまい、私もこの程度の気持ちでヒカルが黙ってたとは思いたくないですが。

ヒカルには打算も何もなかった、ただなんとなく言いたくなかったのでしょう。



・・・と、強いて思えば、てトコです。

でもあんまそこまで突っ込んで読みたくないですね。アバウトに、各人想像豊かに読みましょう♪







現代社会で「俺には囲碁の強い幽霊が付いてるんだ!」と言えば

間違いなく変な眼でみられ、保護者に精神科につれて行かれると

思いますよ?信じてもらえないと思います。

霊が日常に認めてもらえるのは漫画の中でしょう。

ヒカ碁も漫画ですが(笑)そういう方面の漫画じゃないので

あれでいいと思いますよ。



確かに佐為の存在に気がつきそうな人がいましたが

「馬鹿な事を考えてる」と、いうような自己解決になってますでしょ?

いい大人がそんなこと認めてしまったら社会的地位はなくなるでしょうね。

普通、常識の範囲内ではそういうものです。

霊の存在がまかり通るのはその手の漫画小説フィクションの中だけです。

作者は現実味をだしたかったんでしょう。



ただ、本当のライバル、親友となったアキラには

いずれその現実の常識を超えて話す、

その含みを持たせた良い終わり方だと思いますよ。



あと、最後の方は佐為との絆、思い出、ともに戦った日々がヒカルにとって

とても大事なものになっていると思います、

それをそう簡単に人に話す気にはならないでしょう

大事にしまっておきたいもののはず。

それをアキラには話すんでしょうね、彼の存在も佐為と同じくらいに

なった日に、、、。







主人公がそれをペラペラ話したら、

物語の深みも面白みも全く無くなってしまうから。

秘密にするからいつまでも興味をかき立てられるのです。



それと幽霊なんて信じてもらえないだろうという諦め。



まあわたしたちのような凡人の前に彼が出たら、

何もかも話してしまいそうですけど。

話してしまったらこの世から消滅するのかな?



あの続きのお話が読みたいです。

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