2012年5月6日日曜日

本因坊知伯・秀伯・伯元の時代について

本因坊知伯・秀伯・伯元の時代について

囲碁の歴史について書かれた本をいくつか読んだのですが、このあたりの時代については、5世本因坊道知没後、知伯・秀伯・伯元と3代続けて7段位にとどかず碁道は衰えた、と簡単に記されているものばかりでした。

そこで質問なのですが、この時代に他家で7段上手になった棋士はいなかったのですか?







知伯・秀伯・伯元の時代といいますと、1730年頃~1750年代の短い期間ですね。3人とも20代で早世したため、六段どまりでした。この間井上家は春碩因碩が七段、林家は因長門入が八段、安井家は春哲仙角が六段でした。門入は名人位を望んだのですが老齢であり、大岡越前の守に「争碁を打つ意志があれば五十番でも百番でもたちどころに許す」と言われてもすごすごと引き下がらざるを得ませんでした。因碩は来朝した琉球棋士の三子をこなすことができず、とてもおこがましくて八段など望むべくもなかったのでしょう。その後本因坊察元が現れ、「何が何でも俺を八段にせよ、嫌なら争碁あるのみだ」という強引な手法で名人に襲位しました。

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