2012年5月1日火曜日

<囲碁のプロ棋士になることと高校生活>

<囲碁のプロ棋士になることと高校生活>

中学生の間に囲碁のプロ棋士になっても高校、大学に進学した方はいますか?



高校生の間に囲碁のプロ棋士になっても大学に進学した方はいますか?



プロ棋士になるという事は、高校や大学には行かないという事を意味するのでしょうか。



(大学はともかく、少なくとも高校時代でしか得られない様々な経験を得ることがないことについて、なんとも言えない気持ちになってしまいます)



プロ棋士の方がいらっしゃると、「あぁ・・・・楽しい(楽しいだけではなく様々な経験が出来る)高校生活を知らないんだな」とどうしても思ってしまいます(その一方で当然羨望のまなざしではあります)。



皆さんはどう思われますか?







プロ棋士でも進学されているかたは、たくさんおられますよ。

それは、本人が望んでいたり、親が「せめて高校は出てくれ」と頼んだり、いろいろなケースがありますが、、、



でも、どうしてもトップに立つような棋士の考え方は、

プロになる。この世界で食っていく。一般人より早くに社会に出た。一般社会で生きていくことひとつひとつが勉強であり、学業だけが全てではないと自覚する。

ということで、進学を無用とする傾向はあると思います。



実際、15、6で社会に出て、自分よりずっと年配の大人と接して、人生の勉強を早くに始めた方のほうが、親掛かりで後先考えずに楽しい時間を過ごした同年齢の高校生に比べて、人との接し方、話し方、マナーは、ずっとしっかりしているようにも思います。



また、大学まで進学していたらトップには立てないのかな、と、考えながら、大卒のタイトル経験者を思い出してみると、一人、思い出しました。

女流ですが、西田榮美元女流名人は、上智大卒ですね。



若いうちにプロになってから、高校大学と進学する、という意味では、女流とはいえ、西田栄美さんは、稀な例だと思います。

梅沢由香里さんは、院生時代に入段試験を失敗して、大学進学後に、外来で受験してプロになったので、ちょっと話は異なるかもしれません。



男性棋士に限った話だ、ということですが、

確かに、進学しないという強い意思表示をすることは、この道一本で生活するんだという強い決意の表れと言うことはあるのかもしれない、、、と思います。








そう思っているプロ棋士ももしかしたらいるかもしれませんが、心の底から高校、大学生活を経験したいと思えば、やり直しはいくらでもききます。人生において、経験の順番が入れ替わることはけして悪いことではないと思います。しかし、プロ棋士になるというのは、後でやり直そうと思ってもとりかえすことは難しいですよね。そこらへん価値観の違いは人それぞれでしょうが、一度決心してプロの道を歩いている人たちは、プロになれなかった人たちの思いも結果として背負っていますから、囲碁に対する心構えは並大抵のものではないような気はします。高校生活は素晴らしいものだというのは、自分も身をもって知っていますが、プロ生活ももしかしたらそれ以上に素晴らしいものなのかもしれません。勝負にしても、生活にしても、やってみなければわからないものなんだと思います。







高校生活が、若くして囲碁のプロとして自立するより、たいしたものであるとは私は思いません。







井山新名人は高校に進学していないが、あれだけ強ければ進学しなくても囲碁だけで食べていける。

しかし、現在は高校や大学に進学し、2足の草鞋を履く棋士が多い。

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