<囲碁>本当の面白さ・楽しさって?
勝てば嬉しいし、負ければ悔しいのはみんな同じだと思いますが、囲碁の本当の面白さ、本当の楽しさって、別のところにあるような気がするのです。それって、なんなのでしょうか。
プロ棋士でも同じことが言えるんだけれども、とにかく実力が向上しても更に上がいる。 碁界で最も強くなっても〔自分はヘボ〕という。
361目の碁盤に展開される石の形は無数にあって キリがない。 強くなれば対角線に位置する石の形が関係の内容で勝負に重要な関係を生じる。 実際、初級者の対局でも同じなのだが、初級者には その感覚は薄い。 この石の形を考え、相手よりも有利な形を構築できたときの喜びがある反面で、逆に相手に良い形を構築されて負けてしまう。 その負けたときに何を考えるか。 ここにこそ碁の面白さがあります。
この点について元名人の依田紀基さんがオモしろいことを言っています。 〔感動することなんだ〕 そのときに居合わせたのではないので詳細にはワカりませんが、打っている最中に〔そういう手があったんだ〕と気が付くことがあるはずで、大したことは無かったように思えて 実はスゴい手段があったということは私たちアマチュアなら多くあることでしょう。 そうした発見を見出したときに〔感動する〕ということは誰でも同じでしょう。 もっとも、これは碁に限ったことではありませんが・・・
それと私の視点から申し上げますと、碁は自分や相手の状態が対局を通じて見えるところがあります。 打ち方・着手内容・対面対局なら相手の息遣いなど。 これは打ってみなければ理解できないオモしろさの一面があると同時に自分の欠点を見出すことができることもあって これを反省する材料となることがあります。
このように考えてみると、石の形の構築についての奥深さはゲームとしては最高のものがあることに加えて、自分や相手を対局を通じて見出し、賞賛し反省することができるのが【囲碁】と言えるでしょう。
アマチュアの場合、囲碁の楽しさは分け隔てがないということでしょうか。
80歳位の年配者が6~7歳の小学校1年生と対等で打てるし、それが
何の違和感もないのがとてもいい。そんな子が強くなって自分を追い抜いて
いっても好ましいと思えるし、寛大な自分を発見できる。
あるレベル(5~6級くらいか)に達すると一生の友達になり、囲碁という友達
を通して囲碁仲間という人間の友達ができるようになる。これもほぼ一生もの。
囲碁って、「活き方」を覚え「生き方」の幅をひろげてくれる楽しいゲームだって
思いますね。
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